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福田首相の勝利宣言

2007/10/15 08:10
 若者が、ビールを飲みたいと思っただけで盗みを働き、捕まっては困るという理由で、追いかけられたコンビニ店員を刺し殺す。やりたい放題と言い放しが蔓延る殺伐たる世の中になってきた。

 構造改革の御旗を掲げ、一人の男が総理の座に上り詰め、世論を煙に巻くパフォーマンスと、同じ党員であっても意に沿わない者には追っ手を放ち駆逐する、やりたい放題と言い放しの強権政治を挙行した。

 この二人の男は、自らの目的を達成するためには手段を選ばずという点でよく似ている。違うのは、その行為が法律に触れるものであったかどうかだけである。ああ言えばこう言う、手段を選ばず目的を果たそうとする小泉政権に始まる政権党の横暴が、知らず知らずのうちに若者の身勝手さを助長させているという見方もある。殺伐たる世情の動向を憂える国民と同様、政治家、特に自民党議員には、不用意な発言一つで何時駆逐されるか解らない異常な危機感が漂う。

 男の欲望には、金、権力、地位、名誉と?があるという。成功者とは何かの議論はさておき、天才を除いて、成功者に共通することは、自分の生き様を特化していることである。大リーグで活躍している野球選手の多くは、よちよち歩きの時代から父親がボールを握らせ、素振りを繰り返させている。友達と遊んだ記憶がない者もいるという。学者は、仲間の遊びに加わることなく一心不乱に勉強し続けてきた者が多い。事業家は、己のすべての意識と行動を仕事や立身出世に結びつけてきた。それはそれでよい。

 社会協調に重きを置き、為すべき事を為し、自己を規制し地道に生きることしかない一般庶民の目からすれば、この成功者の生き様は片手落ちの人生でしかない。然し、敢えてそう発言する自信も意味もない。一方、成功者の目には、一般民衆は自分の人生を絞りきれない右往左往の衆としか映らない。世の中は大多数の常識人とごく少数の異端者で成り立つ。

 政治とは何ぞやの堅苦しい議論はさておき、政治家の役割はこの平凡に生きる一般民衆の生き様をより良き方向に導くことである。革命でもない限り、一般民衆の許容範囲を逸脱した論理では国民の継続的支持を受けることはできない。類希なるパフォーマンスで人民の心を掴んだように見える男がいたとしても、それは一陣のつむじ風でしかない。

 小泉政権は、革命と改革を取り違え、一般民衆を扇動、その一般民衆に犠牲を強いる猫だまし政治を強行、長期政権を維持し続けた。国民は直近の参議院議員選挙でこの危険な流れにノーという意思表示を突きつけた。にもかかわらずこの男は、まさかという坂もあるなどと訳のわからぬことを口走り、凝り性もなく再登板ともとれる意向を示す。不意打ちを食らい慌てた前幹事長が、乗り遅れてはなるまじと同様のコメントを発表する。方や民主党はアフガン部隊参加等、党首の言動が党分裂の可能性を露呈する。政界は、国民不在のどたばた権力闘争の様相を呈してきた。

 この混乱の中で、福田政権は相互理解を基本とする協調路線で船出した。イラク戦争への燃料転用疑惑や政治資金、年金問題等、何をどうするという視点では、現政権は荒波に翻弄される小舟のようにしか見えない。然し、国民の心の奥底に流れる、政治に倫理観の復活を求める別の視点から見れば極めて安定している。野党の攻撃に対し相手の意見を尊重せよと閣僚の発言を諫める姿勢は、小泉政権がまき散らしたやりっ放しの論理で動く政治家への不信感をぬぐい去る。政治評論家が答えに窮する福田政権への国民の思いがけなく高い支持率の理由はここにある。有言実行、不言実行、権力の行使方法は多種多様。これから何をどうするの難関を乗り越え切れれば、国民の継続的支持を受ける可能性もある。勝つためには手段を選ばずの過ちを若者に教える国政が蘇る。

 福田首相の公邸下見とそのときの発言は、国民が何を求めているかを正しく読み手を打った、政権維持の自信の表れと見ることもできる。国民は政策如何より意識の暴力を憂えているのである。政治家の品のなさを嘆いているのである。
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つい笑ってしまった怖い話

2007/10/13 06:12
 今、仕事に凝っている。追いまくられている。ブログなど書いている段ではない。しかし、ちょっとだけ書き記しておきたい場面に遭遇した。

 これまでのブログを読み返してみた。性格なのか能力なのか、その表現がクドクドしい。もうすこし単純明快に言い切ることはできないのか。

 私の親友に風雲児がいる。奴と久しぶりに生焼酎のガブ飲み会をやった。と言うよりそうなった。
奴は名だたるモンスター企業が雪崩打つ特許商品を開発、ある生産機能の世界革命を成し遂げようとしている。仕事が一流なら、遊びも超一流、趣味の農園栽培を欠かさないハードな毎日である。

 焼酎をチビリと嘗め、珍しく奴がのろけた。ある日、奥さんに囁いた。「万が一、俺が先に逝っても急いで来るな。いつまでも待っているから」と…。奥さんが答えた「うれしいわ」。間髪を入れず、「しかし、そうなったらあなたと会うことは無いのかも…」。「何故?」と奴は問いかけた。奥さん曰く「私は天国、あなたは地獄」と…。
こういう明快な表現を目指したいものである。
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政策云々より国会議員の資質の見極めが先決

2007/10/08 01:03
 「現世の沙汰は金次第」と図星言われりゃ身も蓋もない。
「…、冥土の沙汰も金次第」。誰が詠んだか、「金次第」を一旦冥土へ持ち去り、返す刀で、金で決まる現世の性を批判した名句である。

 近々、国民が裁判官に加わり人を裁く新しい法律が施行される。裁判所はこの制度を国民に浸透させるため、全国各地で模擬裁判を実施するという。何を戯けが、見ず知らずの人の行いを裁くほど国民は思い上がってはいない、というのがこの法律に対する私の感想である。その意を伝えるため、こちらの方言で声高にお訴え申し上げると「わしゃ、知らぬ人間を裁くごと、罰かぶっとらん!」ということになる。

 人を裁くということは生半可な気持ちでやってはならない。それなりの見識と責任が要求される。どうしてもそれをやらせたいというのなら、いきなり一般人を裁判に巻き込むより、民意を取り入れ、倫理と論理のフィルターを掛け、従来通り裁判官が裁く間接的手法を取り入れるべきである。その理由は、煽られた民意によって結果が盲動する現行の政界の体たらくを見てみればよく解る。この一件は、その後の裁判の結果次第では、やはり中選挙区の方が良かったなどと悠長な軌道修正が可能な簡単な問題ではない。

 詳しいことは解らぬが、裁判官候補に選ばれた者は基本的に逃げ場がないという。新聞記事によると、辞退したい場合、そのために収入の道が途絶える恐れがある者とか、廻りに重大な影響を与える仕事が進まなくなる場合とか、認められる理由は金にまつわることばかり。金の有無とは関係のない、例えば「主義の違い」は考慮の対象にはならないという…。この記事にそれ以外の記述は無し。何ともはや空しい感覚に陥る。

 すべての価値は金で決まる?。確かに金があれば大抵のことはできる。無ければできない。然し、今度の場合、金がない者に特典の可能性があるとはいえ、金以外の事情は裁判官辞退の理由にならない事態はいかがなものか。

 銭、銭、銭、1980年代後半から90年代にかけて、中国上海虹橋空港に着くと、彼方の市街地からこの大合唱が繰り返し我が耳に聞こえてくるような気がしたことを思い出す。政治家も国政もこれに影響を受けた若者たちも、努力して…の前提が欠落し、金の無かった時代の苦しみを良き思い出として受け取れる人生の綾が消え失せた、ましてや裁判所までが金に絡む物差しでしかその是非を推し量れない、殺伐とした我が国の精神風土の現実を憂うのみ。

 このような日和見裁定は裁判以前の基本的誤りと考えるが、如何か。本当に金がないときの苦しさ、無念さを知らぬ、世襲?と幸運で総理になったお坊ちゃまが、再チャレンジ政策などと国民のご機嫌伺いを繰り返すパフォーマンス政党と、これを陰で操る政治家擬きの横暴が問題なのではないか。
一方、国民も、1円の領収書がああだのこうだのと重箱の隅をほじくり出す週刊誌レベルの問題意識に見切りをつけ、思い切って1億円なのか2億円なのか、はたまた数千万円で済むのかどうかは知らないが、国会議員が国政にすべてを打ち込める環境を与える決意が先決ではないのか。当然、議員の資格や運用法等に一定の制限をつけるものとして…。

 再チャレンジ政策も1円領収書政策も、はたまた民間人裁判参加法律もそのこと自体が目的ではなく、そのすべてが国民に飴をしゃぶらせ民意を誘導しようとする客引き行為以外の何ものでもないと思うのは私だけか。
ああいえばこういう、小泉元首相の「はぐらかし国会答弁」が地道に生きる国民の正義感を萎えさせ、若者の生き方に社会の存在を無視した手前勝手な横暴行為を助長する悪しき手本となっていることに国民は気付かないのか。この男は、未だもって国会を賭博場と見なし、「まさか」という坂もあるなどと悠長なことを口走っているが、黙って放っておいて良いのか。
大切なことは、政治家が何をしようとするかに躍起になる前に、政治家の資質を問い直し、職責を果たす意志と資質を持つまともな国会議員を選び出す試みを開始することである。 

 ああいう手合いに議員報酬1億円とは…と嘆き悲しむ必要はない。厳しい条件を付与し2〜3回の国政選挙を実施すれば、トランプの総替えとは云わずとも、国会議員の質、能力、度量、意気込みが一変し、まともな政治家を残し、政界に蔓延る政治家擬きが一気に消え失せる。そう言う真の政治改革を企て、実行しようとする政党或いは政治家は出てこないのか。味噌も糞もごちゃ混ぜになった政界にこの作業は「猫の首に鈴」より難しいものなのかも知れぬが…。
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小沢代表の究極の一手

2007/09/30 21:14
 福田政権は派閥領袖を揃えた組閣を実施、反転攻勢を試みた。
大方の予想を裏切り、かなり高い支持率が出た。海上自衛隊の補給活動継続問題も与党支持の流れが出てきた。自民党瀕死の状態も小康状態に落ちつき、一筋の光が差し込んだように見える…。果たしてそうなのか。

 マスコミは、焦点のインド洋における海上自衛隊の補給活動継続問題で、民主党は、給油のイラク戦争などへの転用疑惑の追及に利用する。直嶋正行政調会長は10月1日に町村信孝官房長官に情報開示を申し入れる。転用が事実なら「(給油継続のための)新法の前提が崩れる」、と伝える。

 民主党は慌てていない。私は、小沢代表にはこの政策の裏に必ずしも使わなくても良い究極の一手が隠されていると見る。私のブログで紹介した「隠し駒」である。
その隠し駒とは、世界各国がそれなら解ると日本を見直し、日本国民も理解する、補給活動停止に代わる全世界向けの「救済或いは援助策」である。地球を救う環境問題や飢餓問題対策等、おおかたの予測はつくが、それが何であるか解らない。小沢代表に聞いて欲しい。
思いつきレベルのパフォーマンス政治家のやりたい放題を容認した自民党は絶体絶命の窮地に追い込まれた…。
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政治家の発言と結果

2007/09/19 14:53
 共同通信の全国知事アンケートによれば、10月1日の郵政民営化で、47都道府県の知事の約55%が、地元の郵便局の数が長期的にみて減少すると予想していることが明らかになった。

 そうなるかどうかはまさに今後の結果次第でしかないが、我々一般民衆は、このマスコミの報道とは別に、郵政民営化を訴え長期政権を維持した小泉前首相が、郵便局の増減について当時どう発言していたかに思いを及ぼさなければならない。
その通りの発言であったなら問題なし。そうでなければ、小泉たる男は、虚言で民意を誘導した謀略政治家であり、同意した国民はこの男の思惑に弄ばれた右往左往の衆となる。

 何故、私がこういう言い方をするのか。
清く正しくのリップサービスだけでは国を司ることはできない。小泉前首相は、硬直化し疲弊し始めた日本の社会構造をぶち壊した。その功績は認める。しかし、私にはこの男から得られるものは何もなかったからである。ああ言えばこう言う。はぐらかしの政治手法に疑問を持ったからである。小泉改革を継承する言葉で国民の同意を得ようとするアホな政治家は多い。多くの国民が、未だもってこの男の存在を評価する。それが私にはわからない。

 この男の出現で、国政選挙が、小泉劇場の自己保身ドラマに倣い、自らの職責を忘れ地位や立場に固執する政治屋が枠順に並ぶ競馬の世界に変化した。これにあわせて、国会議員を選ぶ国民の認識が一億総予想屋に様変わりした。そして、改革の必要性を謳いながら首相の地位に世襲を優先する日和見主義の曖昧さが蔓延、能力不足の首相を生み、世界各国から失笑を買う首相交代劇を演出した。この、勝つためには信義不要、手段を選ばずの風潮が、若者の心の荒みを増幅させる原因となっていると思うのは私だけであろうか。

 国民は郵便局数増減の結果を安易に見過ごしてはならない。小泉前首相の発言と結果が異なれば、次の選挙で自らの意志を反映させ、政治家の選挙の前の心構えと発言を国民の手で正さなければならない。

 小泉なる政治家は、いわゆる新自由主義なる主張を強烈に押し通し、長期政権を維持した。それはそれでよい。一方、郵便局数の増減は、この男の主張に同意を与えるか否かの国民の象徴的且つ逆説的問いかけの一つであった。この真偽如何は、この男の政治姿勢が何であったか見るリトマス試験紙に他ならない。その色次第では税金、医療費等、国民の過酷な負担が次々と表に出てくる。構造改革で生まれる恩恵を受けるのは国民ではなかったという結果が見えてくる。「それはあなたたちが同意したからではないですか」という説明書きがついて…。
国民は、やりっ放しのパフォーマンス政治家ごときに見くびられてはならない。もっともらしくこれに賛同する、そう言うしか飯を食うネタがない政治評論家に影響を受けてはならない。

 今、自民党総裁選の真っ直中、二人の政治家が自らの政治信条を訴えている。我々一般国民は、その発言がどうなのかと併せて、そう言う男の目的と思惑が何なのかを予測、判断、検証することを忘れてはならない。
政治とは何ぞやの探求心が消え去った、小泉劇場の猫だましドラマを学習した政治家擬きの能書きをすべて講釈通りに受け取ってはならない。国民は、選挙の前の彼らの発言を注意深く読み、真の政治家を復権させなければならない。
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平沼元経済産業相の復党と小泉前首相の離党

2007/09/06 19:45
 今、平沼元経済産業相の復党が話題に上っている。
平沼元経済産業相は、復党にあたって郵政民営化に反対し党公認を得られず落選した前議員への配慮を要請する考えを明らかにした。自民党幹部は、平沼氏の復党について「(臨時国会の)会期中になる」との暢気な見通しをコメントしているが、因果応報、この流れは民主党の今後の動向と相まって、小泉前首相の離党への動きが始まったと見ることができる。ことは簡単ではない。その根拠は、これまで私のブログでくどくどと述べてきた考え方による。
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安倍総理とそのお友達の悲しい結末

2007/09/04 21:55
 「流儀」というのがある。その人やその家などの独特のやり方を言う。また、「頑固」というのがある。人の言うことを聞こうとせず、自分の考えを押し通そうとするさまを言う。さらに、「面子」というのがある。世間に対する名誉や体面。世間からうける評価。人にあわせる顔。と辞書には書いてある。

 この三冠王、即ち「流儀」をわきまえ、「頑固」で、「面子」を重んじる人がいたならどうなるか。この手の人は、邪念がなく、目的が的確な脇役に恵まれたときは打つ手打つ手がツボにはまる。飛ぶ鳥を落とす勢いでことが進む。しかし、「そうでない場合」は知らぬ間に自らが立つ地盤に大きな穴が開く。ある日突然母屋は傾き、軌道修正が効かず、その多くは悲劇的結末に陥る。それでも失敗を失敗と考えず、信念を曲げず、凝り性もなく同じことを繰り返す。ここに言う「そうでない場合」は、邪念のある脇役が寄り添う場合とそもそも脇役がいない場合に分かれる。

 私のちんけな人生経験を紐解くと、このタイプの人物は、助言、諫言には強く、虚言に弱い。腹黒い人間には何故?と疑う、常識では考えられない反応を示す。聞くべき人の意見には耳を貸さず、聞いてはならぬ人の思惑を取り入れる。

 私のブログ「内閣改造と政界正常化」の稿で、国民は「猫だまし政治家」が仕掛けた「はぐらかし政治」に別れを告げなければならないと述べた。現政権のこの醜態はその延長線上にあるように思えてならない。小泉政権が蔓延させた現代日本の歪んだ政治を蘇らせるには、政治を忘れ覇権に目が眩んだ政界の常識を断ち切り、その殻を打ち破ろうと努力している真の政治家を登場させるしかないと思うのは私だけか。

 内閣改造から一週間足らず、またまた農相の不正受給補助金問題が発覚した。その他、政務官やら何やらが、ああだこうだと腐った金魚の糞が途切れることはない。この現象は起こるべくして起こった現象である。小泉前総理の路線を引き継いだ安倍総理とそのお友達には、避けようにも避けられなかった悲しい結末である。つける薬はない。何を申し上げても無駄である。
国民は、次の衆議院選挙で明確な意思表示をするしかない。ここまでくれば、政治より覇権が優先する政治家擬きの弁解を聞く必要はない。
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内閣改造と政界正常化

2007/08/26 22:32
 妹の嫁ぎ先のおばあちゃんが亡くなった。享年95歳。子供7人を生み、育てた見事な一生であった。
妹からの一報を受け、ゆかりあると思われる人たちにその旨の連絡と葬儀出席如何の問い合わせをしてやった。その中の、車で片道約1時間半程度の市に住むあるお年寄りが、「どうしても出席したいが、息子の仕事の都合で送ってもらうことができない…」という。代わりに香典を包み、通夜に出かけた。

 よく考えてみると、この遠縁の親戚の住む家は、県庁まで車で2時間足らずのところにあるが、車が運転できない人には誠に不便な場所である…。というより、そうなってしまった。
この市は少なくとも数年前までは、バスや鉄道を利用すれば何不自由なく遠出することができた。それが今年四月から、地域住民の足代わりであった県営バスが運行を取りやめ、残る公共交通機関は私営のバスと鉄道のみとなった。そのバスも間引き運転を強行、不便極まりない街に一変した。さらに、近々、鉄道も途中の駅で運行を打ち切るという…。「構造改革」の負の洗礼を受けた典型的な地方都市である。このところ、こういう寂れた街や暮らしぶりが日本全国に蔓延している。

 「構造改革」なる言葉が世に出て久しい。我が国の経済破綻を憂い、地球規模の視野で生きることの大切さと国際貢献の必要性を説き、政治家や経済人、はたまた学者達がこれまでの社会構造を見直し、豊かな国づくり、暮らしづくりに動き始めた…ように見える。果たしてその実態は講釈通りなのであろうか。

 国民は、この「構造改革」が自分たちのため…、即ち国の財政危機を解消するため、その道筋が曲がりなりにも整えられ、問いかけられたものと思い込んでいる。当初の国民の負担や苦しみは豊かな社会の実現に結びつくものと信じて疑わない。故郷が陸の孤島に変わっても、明るい未来の到来をじっと辛抱して待っている。国民は、この「構造改革」が、出たとこ勝負の民意誘導の誘い水であったとは努々思っていない。

 「構造改革」なる言葉を操る政治家は多い。「改革を進めなければ日本の未来はない」という脅しである。この種の政治家はこの言葉をどのように認識し使っているのか。我々は、そう言う政党や政治家の真意をもう一度確かめて見なければならない。
自民党の言う「構造改革」の成果を受け取る者は国民なのかそうでないのか。その効果が何時現れるかが示されているのか否か。そして、この「構造改革」は、その行く先を見越した上で国民に問いかけられた政治目的であったのか、民意誘導の甘言だったのか。
そのそれぞれが前者であれば問題ない。そうでなければ重大な疑問が残る。

 「構造改革」とは…、現状の社会が抱えている問題は表面的な制度や事象のみならず非合理的な社会構造にも起因するものであり、その社会構造自体を変えねばならないとする政策論的立場をいう、そうである。
無能の私には、何が何だかわからない。

 構造改革には何らかの負担或いは犠牲が裏表でついてくる。
小泉内閣は、細切れにした国の借金を悟られないよう国民に負担させ、代わりに都市銀行や巨大企業の収益を増大させることで帳尻を合わせ、構造改革の取り組みで発生する景気の後退をカムフラージュし、国の財政危機を乗り越えようと企んだのではないか。「構造改革」の着手前と今で、例えば都市銀行と国民の財政(家計)の健全性の比較をしてみればよくわかる。どちらが楽になったかを見ればよい。
同じく、小泉前総理の「自らの政権での消費税切り上げはない」との発言を評価する向きもある。しかしその実態はその必要性を先送りしただけの、自らの政権維持のための策略ではなかったのか。

 あの小泉ブームの仕掛けにまんまと乗せられた自民党ファンは、ある日突然、「構造改革」なる甘言を投げかけられ、その何たるものかを理解することなく、誘いに乗り、期待をかけ、投票してしまった。これが小泉内閣の本質であり、私がこの内閣を「猫だまし政権」と称する所以である。
小泉政権が訴えた「構造改革」とは、果たして国民のための政治目的だったのか。否、単なる支持率向上のための客寄せパンダではなかったのか。

 政府、自民党は「構造改革」の何たるものかを説明しているかのように見える。しかしその本質は難解で、国民の大半は未だもってその意味を理解していない。理解することができない。少なくとも私にとっては、未だもって何が何だかわからない。

 何故、小泉政権は「猫だまし」なのか…。
突然、小泉政権は構造改革を世に問う奇襲作戦に出た。そこには、難問を投げかけ、「国民がその意を理解できぬうちに一気に投票させてしまえ」とする火事場泥棒的民意誘導の企みが見える。国民の理解不能を逆手にとった陰湿さを感じる。この政策は単なる自己保身の策略でしかなかったと私は考えるからである。
 
 自民党はこの参院選で大敗した。マスコミ、政治評論家、政界、財界の面々がその原因を分析する。年金記録漏れ問題、政治とカネの問題、閣僚不祥事等々、すべてハズレである。
その真相は、国民は小泉前総理の「構造改革」とやらを信じて投票したが、自分の住む街と生活が日を追うごとに寂れ果て、黙ってついて行くことに危機感を覚えたからである。自民党の「構造改革」は政治目的ではなく、政権維持のための策略でしかなかったことに気づいたからである。小泉政権の「猫だまし政治」に毅然たる評価を下したのである。

 明日、内閣改造が行われるという。大切なことは誰が閣僚に選ばれるかではなく、安倍総理が閣僚を選ぶ根拠が何かを見破ることである。そして、新しい内閣が打ち出す政策が政治目的なのか、自らの政権維持のためのリップサービスなのかを見極めることである。

 我々国民は、突如防衛大臣に指名され、国政の混乱には目もくれず外遊を繰り返し、僅か数ヶ月で退陣表明、「外遊前にそもそも退陣を決意していた」と支離滅裂の発言をするピント外れの「政治家擬き」と、こういう手合いの登用を繰り返す自民党政治の常識を一掃しなければならない。
さらに、国民には過度の負担や犠牲を強いながら、長期政権終了直前に、膨大な国費を費やす何の意味もない外遊に出かけた事実が物語る「猫だまし政治家」が仕掛けた「はぐらかし政治」に別れを告げなければならない。

 人の本音は、事が終わったそのときに、ポロリと袖の下から転げ落ちるものである。自民党の大敗は、ポロリと落ちた小泉前総理の自己保身の腹の中に気づいた国民の怒り以外の何ものでもない。その誤りを正そうとする正統派議員を排除し、柳の下の泥鰌を狙い続ける勘違い議員の蔓延に鉄槌を食らわせたのである。「構造改革」が政権維持の手段ではなく、政治目的そのものである本物の国会議員或いは政党の出現を待つ。
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自民党の敗因

2007/08/23 10:55
 「負け惜しみの強い奴」というのがある。自民党の中川幹事長が「自民・民主の大連立は歴史的流れ」と発言した。
政治評論家か、少なくとも幹事長辞任後の発言であればわからないこともない。しかし、一旦辞表を提出した経過があるとはいえ、現役の幹事長がこのような発言をするところが幼児化した自民党の姿そのものであり、参議院選敗退の究極の原因である。この言は自らの無能ぶりを示す証明以外の何ものでもない。自民党を引っ張る者の言うことではない。言いたくても、今、言ってはならないことである。

 私のブログで繰り返し述べているところであるが、この自民党の堕落傾向、即ち政治家の評論家化或いは言い逃れの定着、はたまた政治家としての存在価値の国民の認識とのズレが小泉前総理の時代から顕著になった。
総理大臣は日本国政治の頭領である。主体者である。その頭領が自らの政策や国会答弁の重要なところで主体者でなくなる。真っ向から受けず、かわす。野党の追及に、回答ではなく、突如政治評論家に変身し、訳のわからぬ次元の答弁でお茶を濁し長期政権維持を図る。その最新版が、安倍総理の辞任しない理由のあれこれである。
但し、自民党の中にはそうでない、まともな政治家がたくさんいることを補足しておく。

 国民は、総理大臣が或いは政治家が、何をどうする、どうしたかではなく、何を目的としてその地位に固執するのかを見始めた。政治家としての本意を見極め始めた。その証明が今回の参院選の結果である。これからは「負け惜しみの強い政治家」は落選する。何故なら、国民のために何の役にも立たないからである。国民の感覚と外れているからである。
総理大臣が、次の臨時国会の日程も明らかにせずアジア三国の外遊に出かけた。まさか総理大臣と競り合ってはいないのであろうが、この期に及んで「勘違い渡り鳥防衛大臣」が性懲りもせず外遊を繰り返す。
隣が火事だと大騒ぎしているのに、日課の晩酌をもう一本と所望する暢気な「親父」と、その酒を買う財布を捜し始めた「かかあ」との、お笑いドラマの世界である。

 我々一般社会にも似たような御仁がいる。もっともそうな顔をして、常に自分を正当化しようと発言、動くお方である。周りは、また始まったと諦めて、「ハーイ、ハーイのヨイ!」と無視する。この対応をまた好意として捉え、図に乗る。それが政界、否、自民党の世界では常識なのであろう。しかし我々一般社会ではこういうお方は「失笑を禁じ得ない類」に放り込まれ、町内のまとめ役に選ばれることは絶対ない。

 自民党が参院選の惨敗を受けて設置した「参院選総括委員会」の総括案の概要が明らかになった。
参院選の敗因として、年金記録漏れ問題、政治とカネ、閣僚の不穏当発言に対する「政府・与党の危機管理対応能力の欠如」などが明らかにされ、内閣・党支持率の低迷、自民支持層の分裂、無党派層の取り込み不調等を今後の課題として提示した。

 政策面では、格差問題など構造改革の「影」の部分への配慮が不足していた点を強調し、「今までより厚みのある構造改革が必要」と提起した。与党が野党の反対を押し切って法案を採決したことが「強行採決」と野党から批判され、テレビの映像でそうした印象が定着するなど政府と国対の連携不足も敗因の一つに挙げた。そして、広報戦略、地方議員の急減、構造改革に影響された党基盤の弱体化、候補者選定の問題党が課題として提示された。

 それはそれでよい。しかし、構造改革の「影」の部分への配慮の不足ではなく、それが「表」の部分でなければならなかったことに今もって気づいていないのではなかろうか?。さらに大事なことを忘れてはいませんか?。自民党の皆さん、国民の政治家を見る目と投票理由が変わったことを…。
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小池防衛大臣と小泉前総理は同じ穴の狢

2007/08/19 20:58
 「小池防衛大臣」の頭の中は次の改造内閣で生き残ること。決して語らぬ腹の中は自らの「留任」だけ。この現象は現在の自民党の体質を物語る。

 小泉前総理は、改革という名の御旗を掲げ、政権の座に就いた。そして「自民党をぶっ壊す」と宣言、自らの政権維持のための政治を強行した。その目的は、如何に長く総理の座に居座るかということ。自分の意志に背く者は、刺客を放ち追いかけた。
その結果、自民党は「国民のための政治を執り行うこと」より「如何に己の立場を維持するか」が優先する徒党集団に成り下がった。真の政治家が埋没する現象が発生した。

 自民党は敗れた。巷では防衛次官人事の話題が賑々しい。安倍総理が、「安全保障政策を担い、国民の生命と財産を守る役所にふさわしい人事を考えていかなければならない」、というのなら、次官人事の前に身を挺してこの「渡り鳥防衛大臣」を更迭することである。自らの人事の誤りを正すことである。それしか安倍総理が檜舞台で大見得を切るチャンスはない。自民党が生き残れる見込みはない。

 見事に国民おいてきぼりの権力闘争。防衛省トップが重要案件を携帯電話でやりとりしていいのか。混乱が続けば安倍政権のマイナスイメージ。ドタバタ人事劇…小池防衛省の負け。…等々、誰がどうした、どうなる、勝った負けたのと、マスコミの論調はすべてこの要点を迂回する。

 しかし小池防衛大臣にしてみれば、官房長がどうだの局長がこうだの、ましてや日本国の防衛だの、本人にとっては関わりのないこと。「渡り鳥防衛大臣」の目的は次の組閣での「留任」だけ。勝手に動いたにせよ、安倍総理をそそのかしたにせよ、突然の訪米に始まる一連の騒動はすべてこの一語に帰結する。自民党の常識、否、「渡り鳥」特有の才覚がそうさせる。そうでなければ、自ら主張した人事が認められない結果となった挙げ句の、「すべては安倍首相のリーダーシップで決まった。有り難い。」の言葉は出てこないはず。信念ある人なら「辞表提出」が妥当な線。真の政治を志す人ならそうなる。政治哲学が欠けた或いは見えない政治家擬きの横行は、国が滅びる前兆である。

 「小泉改革」なる言を耳にすることがある。財界の大物や評論家がマスコミ等を通じて賞賛し続ける。私はそのすべてを否定するものではない。さりとてこの言葉は我々平民には響かない。何故なら、大半の国民は、その「改革」なる災いを被ったことはあるにせよ、その恩恵を受けた実感はない。好調な景気の動向は、国の施策ではなく、国民と企業努力によるものと考えているからである。

 「渡り鳥防衛大臣」の留任は、次の衆議院選挙での自民党の敗北を意味する。余計なことであるが、一国の総理まで努めた男が、チンコロ姉ちゃんの些細な思惑に弄ばれた禍根を残す。
若い頃の無理は年老いて必ず出てくる。小泉前総理の「猫だまし人生」の禍根が以外と早くこういう形で現れた。これからも出てくる。「国会議員が、総理大臣が…、部長が、社長がなんぼのもんや」という前提で事に当たれば、目に見えない流れが見えてくる。「あなたはそういう人だったのか…」という無念の思いを事前に回避できる。お試しあれ。
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日本人の恥!「渡り鳥防衛大臣」

2007/08/15 12:09
 参議院与野党逆転の理由は、現政権の為せる技ではない。小泉前総理の「そうすると発言したことがそうにはならなかったこと」に対する国民の反論に他ならない。「そうなった」のは都市銀行や巨大企業等の限定された範囲でしかなかったことによる。

 このブログ「防衛大臣は渡り鳥でもこなせる役割なのか」の稿で、
「渡り鳥という言葉がある。ある場所から次の場所へ転々と旅行しながら商売や興行をして稼ぐ人を言うそうだ。日本新党に始まり、新進党、自由党、保守党、自民党と渡り歩いた人物が日本国の防衛大臣になった…。
驚いた。こういう者が防衛大臣に就任したことより、そういう者を任命した総理大臣の見識に驚いた…。」と述べた。

 また、「どたばた喜劇の舞台と化した日本の政界」の稿で、
「自民党をぶっ壊すと宣言、その通りにぶっ壊し、その後片付けもせず自民党員として居座る不可思議さ。改革とやらを実行したように見えても、改革の裏に潜む弱者救済をほったらかしにし、今度の選挙でヌケヌケと街頭に立ち、その弱者に再び投票を仰ぐ図々しさ。今回の参議院議員選挙の結果は、この男に対する「ふざけるな」という国民の評価と言っても過言ではない。」と、今回の自民党の敗戦が小泉前総理に舐められたことに対する国民の怒りによるものであることを述べた。

 さらに、「国民は前政権のリーダーとその実績にノーという評価を下した。党を再生するというなら、自民党議員は、この男のマインドコントロールから早く抜け出すことである。」と、自民党が国民の支持を取り戻す条件を提起した。

 今回の参議院の与野党逆転現象は、「政党がその意志を国民に理解させ、或いは勘違いさせ投票させる流れ」から、「国民の意思を政党が受け止め、審判を仰ぐ流れ」への、有権者の投票意志決定ベクトルの反転を意味する。
これまで、政党は、実現できなくても何のペナルティも科せられない、そう言うことに何の意味もないマニフェストや、政治・報道番組等を旨く利用し、民意を煽り、国民の判断を操り続けてきた。しかしこれからは、先ず前政権或いは施策に対する民意を確かめ、国民の意思に沿った政策を立案、提起し、同意を得ることができなければ選挙に勝つことはできなくなった。
政党は、選挙前に、甘い言葉で民意を操ることはできなくなった。強行採決を除く選挙後の実績が物言う時代となった。強行採決した法案成立を如何に実績と訴えても、国民の判断はそうにはならない。訴えれば訴えるだけ支持率は下がってくる。

 これまで、消費者は、メーカーや販売店の商品や宣伝広告等を参考にし、ものを選び、購入していた。それが、パソコンやインターネットの普及で消費者の情報収集能力が向上し、消費者独自の判断で広く商品を選ぶ時代になった。メーカーや販売店は消費者を事前に操る販売戦略が功を奏しなくなり、逆に消費者の意向を汲んだ新たな商品開発の実行を余儀なくされた。

 同様に、国民は、マニフェストや、政治・報道番組のコメンテーターの発言を鵜呑みにしなくなった。そう発言するコメンテーターやテレビ局、或いはこれを利用しようと目論む政治家の腹を見破り始めた。
にもかかわらず、政治・報道番組は、政党や政治家が主、国民が従の観点から、参議院選の結果や改造内閣の動向等を面白くおかしく伝え続けている。この流れに沿う限り、保革逆転の理由や今後の政治動向には到底辿り着けない。
これまではマスコミの発言が影響力を及ぼしていた。しかし国民は、それはあなたの考えでしょ、とクールに対応するようになってきた。財界の大物が如何に小泉改革の正当性を吹聴しても、潤っているのはあなたたちだけで、我々平民はそうではないと判断できるようになってきた。これは都市と農村の関係についても同様である。

 小泉前総理の実績はそれなりに認める。しかし、参議院の与野党逆転現象はこの男のパフォーマンスの為せる技である。パフォーマンスとは実体を伴わない演技でしかない。一点豪華主義のはぐらかしが意味をなさなくなってきた。
安倍総理が真の政治を執り行おうとするなら、「小泉改革」なる言葉を封印することである。「安倍改革」と断言することである。その人事手法の象徴とも言える「渡り鳥防衛大臣」を罷免することである。そのすべてとは言わないが、いわゆる小泉チルドレンなる右往左往の衆を一掃することである。そして、一般国民に習い、マスコミ識者の言に一喜一憂しないことである。
次の組閣で如何に優れた人材を配しようとも、「渡り鳥防衛大臣」を罷免しきれない限り、国民の支持は得られない。逆に、この「渡り鳥」を罷免させさせれば、それだけで安倍総理と新内閣に対する国民の見方が変わってくる。何の言い訳も要らなくなる。災い転じて福となす。

 安倍総理が真の改革を実行するというなら、これまでの柵を断ち切ることである。パフォーマンスとの決別、小泉前総理のマインドコントロールからの決別。そうして初めて国民が認める改造内閣が生まれる条件が整う。国民すべてが相応の負担と利益が得られるバランスのとれた政治に蘇らせることができる。
誰かを犠牲にするだけで終わってしまう方案は誰でも立てることができる。小泉政権の政策がそうである。これを改革とは言わない。国民はそれがわかってきた。

 最後に、「渡り鳥防衛大臣」を罷免すべき理由を述べる。
ライス国務長官は大人である。何の用事もないのに、ある日突然日本から飛んできた「渡り鳥」が洒落にもならない洒落を発し、「私とあなたは同じレベルの人物である、云々。」と訳のわからぬことをのたもうた。彼女は微笑み、黙して語らず…。アメリカ政府の要人達が「ク、ク、クッ…」と笑いを堪えて目配せする姿が目に浮かぶ。
日本人としてこれ以上の屈辱はない。

追伸
 晩飯を食いながらテレビを見ていた。尋常ではない形相をした「渡り鳥」がマイクを向けるレポーターに「あら、まあ、皆さん、……」と嫌みを言う。「……」、……。人の上に立つ者の言ではない。
そのニュースでいくつかの語録が紹介された。無駄なことで、一々紹介することは割愛する。その代表的一言のみを書く。「私は国を防衛しているだけで、自分を防衛しているのではない」。これは聞かれたことへの回答ではない。準備していた台詞である。政界は芸能の世界ではない!。幼稚園児の、突然の、「お母さん、冷蔵庫のアイスクリームは私は食べていないよ」の一言と何の変わりはない。見え見えなのである。
この程度のことで口をへの字にひん曲げるしかない能力で、何が一国の危機を救うことができよう。皆さんそう思いませんか?
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政権交代と優先順序

2007/08/04 22:36
 今、政治評論家や政治に関心のある識者が、政界の現状を分析し、政権交代の可否と今後の政治の行方を占っている。
私は政治に携わる者ではなく、その道のことはよくわからない。何をどうしたらよいかは彼らに任せるものとし、ここではその手法について考えてみる。

 民主党が日本の政治を担う政党になるためには、政治の原点に立ち戻り、国民が求める政策を、優先順位を考慮しつつ実現して行く必要がある。小泉前総理が日本の政治の良さをぶっ壊してしまった現在、自民党には自浄能力も復元力もない。その意味では、既に民主党が国政を混乱から蘇らせる主導権を握っていると見ることもできる。

 優先順位を考慮した政権交代の道筋を考える。

1.参議院で民主党とは何かを示し、自民党との違いを際立たせる。
 参議院は野党が多数の議決権を獲得した。民主党は絶対多数には及ばなかったものの、3年後の参議院議員選挙で与党がこれを覆すことは困難で、6年間はこの状態が続くものと仮定する。
その要点は、民主党が参議院の議長、各委員長と国政調査権を獲得したことにある。この権利を駆使し、民主党と国民生活を融合させた、一連の正常化策を打ち出し、国民が求める政治を取り戻す。

2.国会で勝つとは何かを考える。
 国会で勝つ方法は五つのパターンに分かれる。その一は衆議院で勝つこと。その二は参議院で勝つこと。その三は衆議院の3分の2の議決権を行使して勝つことである。うち民主党の選択肢はその二しかない。
民主党にはこれとは別の勝ち方がある。その四は、その二で勝ち、その三で負けても、その三の負けと引き替えに国民の与党への反発を増幅させ、衆議院で勝つ方法。その五は、その二で勝ち、与党のその三の行使を断念させ、同じく衆議院で勝つ方法である。
 民主党は政権交代を実現するため、その四と五の二つの手法を駆使し、次の衆議院議員選挙の投票日までに国民の与党に対する不満を最高潮に高める。政治の世界にこびりついた汚れやゴミを掃除する。その何れも、自民党が反対し、国民の多数の同意が得られる法案を準備し、順序よく参議院に提出する能力の存在が条件となる。
早期解散に追い込んだ場合は、現状の国民の自民党離れの勢いで勝つことも可能であるが、そうならない場合も考慮すると、この一手は民主党が今すぐ取り組まなければならない最重要課題である。

3.「隠し駒」を準備する。
 将棋に王手飛車というのがある。単なる飛車取りでは面白くなく、飛車取りが次の先手を奪うさらに高度な一手を打つ。その一手は盤上の駒ではなく、持ち駒でなければならない。将棋の場合の持ち駒は相手もその存在を認識できるが、政治の場合は相手に不意打ちを食らわせる「隠し駒」でなければならない。小沢代表が今回の参院選で打った地方重視選挙対策がこれである。

4.タイミングを考える
 木造住宅の仕口に「地獄ほぞ」というのがある。二つの木材が一旦組み込まれたら抜くことができない、やり直しのきかない施行方法である。
本物が影を潜め、偽物が幅をきかす現自民党の命綱は「言い逃れ」である。自民党の言い逃れの余地を絶つ、政治の世界のこの一手を「弁解不能法案の提出」と命名する。
 「弁解不能法案の提出」は、自民党に先手を打たせることから始まる。衆議院で可決された国民不在の法案を参議院で否決することと併せて、参議院発の対案を自民党の言い逃れ不能のタイミングで打つ。
前述の法案が「その四」の方法が有効に働く場合は、衆議院で強行採決されても慌てる必要はない。逆に、参議院で自民党との対比を際立たせ、自民党には国民の不満を、民主党には支持を蓄積する。
 世界選手権では勝てるがオリンピックでは勝てないアスリートがいる。オリンピックで勝つためには、場合によっては世界選手権を練習試合と心得、オリンピック開催日に最高の体調に仕上げる工夫がいる。
死守しなければならない重要法案を除き、強行採決されても慌てない。その都度「その四」の一手を打ち、次の衆議院議員選挙の投票日に自民党への国民の反発を最高潮に高め、弓を射る。当面は党とすべての議員の政治活動をこの一点に集中させる。そのすべては解散の時期が何時かの判断と連動する。

5.自民党の猫だましに反応しない。
 大相撲で大型力士が小兵力士にひっくり返される理由は、大型力士が小兵力士の動きにテンポを合わせることによる。小兵力士の小細工を飲み込む大きな相撲を取ればよい。
 昨晩たまたま見かけた政治バラエティ番組で、いわゆる小泉チルドレンの看板議員が遅ればせながら駆けつけた。今度の参議院議員選挙の敗戦理由を尋ねられ、彼女はこう答えた。自民党は、閣僚の不穏当発言や年金問題等の発生の対応に追われ、自民党の政策を国民に理解させることが間に合わず敗れた…。言外に自民党は民主党より優れているということを訴えたかったらしい。しかし、国民はそういうことは承知済みのことであり、この言は負け惜しみ以外の何ものでもない。小泉チルドレンとはこの程度のレベルでしかない議員集団である。このレベルの政治家擬きをどう駆逐するか。これも政治を国民の手に取り戻す重要な対策の一つである。

6.国民が政治に求めていることは何かを考える。
 参議院で勝つ前は、民主党の政策は自民党との柵から抜け出ることはできなかった。しかし、参議院で勝った今、前述の「その四」の手法を有効に働かせれば、民主党独自の政治が実現する。王道を歩むことができる。民主党の、優先順序を考慮したこの仕掛けが準備できた時点で、二大政党による国民主導の政治が始まる。小泉前首相の弱者切り捨てを前提とする狂った政治を、国民すべてが相応の負担と利益が得られるバランスのとれた政治に蘇らせることができる。これは民主党が勝つということのみならず、自民党の救済策でもある。我が国の政治を正しく導く政策となる。
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ドタバタ喜劇の舞台と化した日本の政界

2007/07/31 20:10
 客観的に見るというのがある。客観的とは、誰もがそうだと納得できるような立場から物事をみるさま。また、主観的発言というのがある。主観的とは、自分ひとりだけの見方・感じ方にとらわれているさま、と辞書には書いてある。

 参議院議員選挙の結果が出た。
新聞、テレビ等々で、安倍総理が、自民党が、民主党が、ああでもないこうでもないと姦しい。
一か八かの勝負に出たのか、否、最初は余裕があったのだろう、安倍総理は、今回の選挙は自分を選ぶか、小沢代表を選ぶかの選挙であると言い放ち、国民に支持を訴えた。その結果、歴史的大敗の大見出し。出てきた進退についての質問には答えず、「改革を推し進めなければならない」とか、「国民と約束をしている」だとか、チョー主観的?、というか独りよがりの理屈を並べ立て、「逃げてはならぬ」、「国民は内閣の人心一新を問うている」と訳のわからぬ、身勝手な回答を繰り返す。
そこまで言われると、私は何もあなたと約束をした覚えはないし、改革はあなただけしかできないことではあるまいとの国民の反論が聞こえてくる。敢えて注文をつければ、そう言うなら、落胆した顔をせず、明るく振る振る舞われるべきでは…。

 惜しむらくは、総理は「どちらを選ぶか」の一言を発しなければ良かった。そう発言したのなら、その発言に責任を持って欲しかった。
一言の過ち、何も言わない過ち、とりたててミスはしていないのに、この内閣は自ら指名した閣僚達の次から次へのこの二つの過ちで傾き、最後に自らがこの過ちを犯し崩壊の危機に瀕してしまった。責任ある立場に立つ者に必要な基本的素養が欠落していると疑われても仕方がない。聞いていて見苦しい。

 このブログで繰り返し指摘しているところであるが、このレベルの男の出現は、これを誘導した前政権のリーダーの為せる技である。自民党をぶっ壊すと宣言、その通りにぶっ壊し、その後の片付けもできず、自民党員として居座る不可思議さ。改革とやらを実行したように見えても、改革の裏に潜む弱者救済をほったらかしにし、今度の選挙でヌケヌケと街頭に立ち、その弱者に再び投票を仰ぐ図々しさ。今回の参議院議員選挙の結果は、この男に対する「ふざけるな」という国民の評価と言っても過言ではない。どうしてもそれがやりたければ、その実績で潤った銀行や財界だけを回っていればよい。我々国民は、自分の一票が政治の世界を動かす力があることを認識し、次の衆議院議員選挙でもっと怒らなければならない。

 党も党で…、閣僚や派閥の領袖すべてが「安倍、退陣の必要なし」との意思表示。そうすることが、次の衆議院議員選挙で同じ結果となりかねないことに気づかないのだろうか。
国民は前政権のリーダーとその実績にノーという評価を下した。幹事長を始め、選挙に負けた理由をぐだぐだ並べ立てているが、党を再生するというなら、自民党議員は、この男のマインドコントロールから早く抜け出すことである。また、次から次へと政党をはしごした渡り鳥を機密を要する防衛大臣に任じる後任の無能ぶりに明確な態度を示すべきである。最新鋭戦闘機を同盟国日本に売らないアメリカの基本的姿勢の理由が何かを知るべきである。 

 私の少ないテレビ情報では、主義主張は別として、この件で客観的且つ明確に意見を述べたのは桝添要一議員と加藤紘一代議士の二人だけ。後はすべて主観的、というより日和見発言のオンパレード。どうとでもとれる言い回しで好位置発進を目論む。その後の状況の変化で、この言い回しがどう変わるか見てみたい。
自民党の総裁選びは、己の保身、入閣或いは三役就任を天秤にかけた人気投票以外の何ものでもない現実を考えればやむを得ないことなのかもしれぬが…。

 田中真紀子代議士の言葉を借りれば、「口のひん曲がった、おっちょこちょいの外相」は、どういう魂胆で、それも最後に首相官邸に出向いたのであろうか。この最後の支持が安倍政権存続を決めた。どうやら、「現政権には是々非々の論理で国を導く潔さはないようで、何ともはや…云々」の猜疑心を国民に植え付けてしまった。

 白と黒を混ぜると赤になるとの発言を耳にし、すわ一大事、何故そうなるかと考え、問いただした結果、出てきた結論は、色の見分けもつかないただのアホであったという悲しい落とし話がある。
私が危惧するのは、総理が辞める辞めないはどうでも良いことで、辞めない理由の飛躍ぶりである。最初は、国民の評価を客観的に聞き、旨く交わそうとしているのかと思っていたが、ひょっとしたらこの人は…と、心配になってきた。

 いくら何でもそうではなかろう。そうではないはず…。
一方、評論家やコメンテーターが、自民党の「安倍、退陣の必要なし」の大合唱は、派閥の弱体化で下手な意思表示は災いの元との判断がそうさせた、云々の見方を披露する。
また、総理の、退陣しない理由が常軌を逸している理由は、この敗戦で自ら指名した閣僚等の腹の中の読み違いが露呈し、錯乱状態に陥ったのかも?との憶測も流れる。何が何だか解らない。

 また、こういうシナリオもある。
私が直感し、指摘し続けてきたところであるが、前政権のリーダーは「良いとこ取りの名人」であった。
私が子供の頃、そういう奴がいた。旨い話と度胸の良さで周囲を丸め込み、他人を利用し、常に好位置をキープする。奴に同意、協力した者はその後、次々と発生する自らの災難で逆恨み。
突然小奴が姿を消す。ノコノコ出てきた運の良い後釜が、実は悲劇の主人公で、消え去った「良いとこ取りの名人」の尻ぬぐいに終始する羽目に陥る。この二代の政権の推移とよく似ている。
その後釜の周りを見渡せば日和見主義の小物ばかり。その中からそれなりに頭角を現すものが出てくるが、二流品の誹りは免れない。二流品といえども日和見能力は超一流、それなりに状況好転を窺い、表舞台に出るタイミングを推し量る。

 安倍総理は戦に負けた。予定では、次は自分の番であったはず。しかしその時期が思いがけず早かった。想定外であった。今出れば残りの尻ぬぐいを余儀なくされる。仮に政権を手にしても短命に終わる。さりとてチャンス到来の事実に誤りはない。しかし二流であるが故、ぐいと前に出る勇気と能力はない。状況が好転するまで安倍さんに頑張って貰うしかない。わざわざ出かけていって耳打ちし、安倍さんを庇い、庇うふりしてその機を窺う…。小物が使う典型的且つ古典的手法である。
安倍さんが使い捨ての雑巾に見下されてなければよいが。政治の空白を防がなければならないと訴える人が、政治の空白を自ら演じさせられている状況でなければよいが…。この時点ではこのようなシナリオも成り立つが、右往左往の衆とて、今後どう変化するやら…。

 自分が間違えたとき、敢えてその過ちを指摘してくれる人物は信頼できる。そうでない奴は要注意。また、失敗したとき、それまでの主義主張を翻す者は凡人。一貫した態度を貫く者は大人。客観的立場に立てばそうなる。
 
 私が住む県では、高校サッカーの名監督が出馬し落選した。その敗戦の弁が、「政界は私どものスポーツの世界とは違うようで…云々」。自分がスポーツの世界の人間と考えていたのなら、最初から選挙などに出なければ良かったのに。これまで社会に貢献した実績がある人だけに空しい気持ちになった。あ〜あ。

…ああでもないこうでもないと思いを巡らしている自分が嫌になってきた。反省!。こういう無駄な推測が必要ない、本物の政治家による公正明快な政治が執り行われる社会の到来が待ち遠しい。
猜疑心に満ちた参議院議員選挙についての、私の主観的話はこれでお終い。
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中越沖地震で倒壊した耐震改修住宅の教訓

2007/07/30 16:25
 総務省消防庁は、7月16日の新潟県中越沖地震による被災住宅の棟数が23日午後3時30分の時点で9205棟、その内訳が、全壊953棟、半壊726棟、一部破損7526棟と発表した。

 この全壊した住宅の中に、「耐震改修したもの」が含まれているという。その具体的内容については未確認であるが、その実態の解明は低迷する「地震に強い街造り」の進め方に重要なヒントを与える。

 国土交通省が採用する耐震診断法(静的診断法)は、「精密診断(本診断)」と、精密診断が必要かどうかを判断する「一般診断(予備診断)」で構成される。
一方、「耐震改修した住宅」は、「精密診断」と、建築基準法に基づく「耐震補強設計」及び「耐震補強工事」をすべて実施したものとそうでないものに二分される。また前者は、全壊したものとそうでないものに分かれる。さらにその前者、即ち「国の基準に基づいて耐震改修をしたにもかかわらず倒壊した住宅」、これがこの稿の主役である。以下の記述の都合でこれを「悲劇の住宅」と名付ける。

 現時点では、この「悲劇の住宅」が中越沖地震で倒壊した住宅の中に含まれているかどうかは定かではない。しかし、既に全国各地に出現している可能性がある。現行の国の制度に従う限り、そうであるかどうかを確かめる術はない。大地震が起こり、その住宅が倒壊した結果をもってしか解らない。

 欠陥住宅というのがある。欠陥住宅とは何ぞやという定義はさておき、施工業者に手抜き等の悪意がなく、設計通りに施工した住宅がそうなる可能性が厳然として存在する。
設計通りの断面の筋違が節の部分で折れたり、木材が乾燥し、設計通りに施工した接合金具が用を為さなくなっていたり、設計図書の表記が曖昧で、材種、材質、等級や施工方法が様々な形で耐力不十分となっていたりする。構造のみならず、意匠、設備においても然りである。見るからに頑丈そうに見えても、思いがけない欠陥が潜む住宅が存在する。住宅の価値は外見だけではわからない。

 耐震診断も同様である。国が採用する「静的診断法」は、建築基準法体系に基づく理論と既存住宅の現況とを照合しその安全性を確かめる。主に目視で、筋違や耐力壁等、耐震要素の存在を確認し、理論或いは設計に叶う状態であるかどうかを判断する。
「静的診断法」では、例えば筋違や接合金具等の存否を確認、その存在が確かめられれば安全側にカウントする。しかし、その存在が確認されても、耐震要素として用を足していない場合がある。また、この確認は診断者によって区々である。「静的診断法」は必ずしも耐震性能の実態を示すものとは言い難い。その理由は前述の欠陥住宅の場合と同じである。
この原則が、「国の基準に基づいて耐震改修をしたにもかかわらず倒壊する住宅」が生まれ得る所以である。

 さりとて、安全率等の存在がその発生の可能性を減らし、「悲劇の住宅」が生まれる確率は小さいと見てよい。しかし、巧妙な手抜き工事や耐震要素劣化の状況次第では、目視或いはハンマー等の衝撃音や感触等では見抜けない。何れにせよ、国が定める「静的診断法」は、こうであろうとの推測の域から脱することはできない。問題点を孕んでいる。実際、診断をしてみてそう思う。国の制度に従う限り、一人の死者も出してはならない。

 一方、この「静的診断法」に対し「動的診断法」という測定法がある。「動的診断法」の代表的手法である「早稲田式木造住宅耐震性能診断法(以下、マグマと称す)」は、心臓欠陥を心電図で解析することに似て、1棟あたり1時間前後の簡単な操作で既存住宅の耐震性能の実態をパソコンで解析、表示する。誰が測定しても同じ結果が出る。併せて、耐震補強工事の有効性を検証することができる。

 常時微動といわれる地表付近に常に存在している微振動を同じ場所、同じ条件で測定するとその周波数スペクトルが極めて相似する。他方、地盤構造が異なる地点同士の常時微動のスペクトルは異なっている場合が多い。このことは常時微動がその地盤固有の振動特性に関係していることを示す。「マグマ」はこの性質を建物の振動特性の判定に利用できることに着目、開発された特許取得済みの診断法である。地盤と建物の常時微動を観測することにより、建物の固有周期、最大振幅倍率、減衰定数を割り出し、理論ではなく建物の構造特性の実態を解析、評価する。
また、中越沖地震は砂丘の端や川だったところに建つ住宅に被害が集中した。柏崎中心部は軟弱な沖積層の上に砂丘が薄く載っており、液状化が起こりやすい地盤であった。「マグマ」は、「静的診断法」とは異なり、測定対象住宅が建つ地盤の現況を読み込み、その建物のありのままの耐震性能を解析する。

 「静的診断法」に対し「マグマ」は現時点では国の公式診断法として認められていない。しかし、「静的診断法」と「マグマ」との融合、即ち、既存住宅の地盤との関係を含めた耐震性能の実態と、耐震補強工事が有効に施工されたかを検証する二つの能力の「静的診断法」への付加は、国の施策に潜む「悲劇の住宅」の発生を未然に防ぐ。巡り巡って、低迷する耐震診断の申し込みを飛躍的に増大させる。

 建築行政の仕組みから、同時に二つの耐震診断法が認定できないことは理解できる。
しかし、中越沖地震で倒壊した住宅に「悲劇の住宅」が含まれていたかどうかはさておき、少なくとも「耐震改修をした住宅が倒壊した事実」が暗示する由々しき事態を勘案すると、「静的診断法」と「マグマ」との融合、即ち国と早稲田大学理工学部毎熊輝記研究室との「新しい耐震診断法の構築に向けた協議」の開始は緊急且つ必要不可欠事項と思慮する。
万難を排し、この二つの診断法の整合性構築のための協議テーブルが設置されることを願う。どちらが正しいか云々の論議でなく、この二つの診断法の整合性を追求、システム構築すれば、「悲劇の住宅」の発生を未然に防ぐことができる。住宅所有者が耐震補強工事の要否を簡単明瞭に判断できる仕組みが生まれ、停滞する耐震診断希望者を一気に増やすことができる。

 地震の恐怖から逃れようとする国民が知りたいことは、我が家の耐震性能のみならず、耐震補強工事の要否の判断までに幾らかかるかである。全国の地方自治体は補助金の存在を国民の鼻先にちらつかせ、耐震診断を勧めるが、一向に反応がない。応募がない。
その理由は、国が定める「静的診断法」の二段構えの構造にある。「一般診断」で危険側の診断が出て初めて、「一般診断」負担額の10〜20倍の費用を要する「精密診断」受診の必要性を知らされる。耐震診断の受診者が「一般診断」を受け、その後の検討を止めてしまう理由はここにある。
入場料を払い、ゲームやイベントが楽しめると思って入園したテーマパークが、その度ごとに法外の金を払わなければ遊べないことに気づいたあの感覚と同じである。その口コミがこのテーマパークを倒産の危機に陥らせる。誰も行かなくなる。同様に、耐震診断を受けようとしなくなる。そして、地方自治体が進める耐震改修政策は砂上の楼閣と化す。

 もう一つの理由は、地方自治体が進める耐震診断普及策は、これを推進するエンジンの必要性を無視していることにある。耐震診断を推進する役割は建築設計事務所や施工業者である。そのエンジンを動かすのはガソリン、即ち収益に他ならない。受診者の負担減を考慮するあまり、診断を行う設計事務所等に犠牲を強いる形となっている。動けば赤字になる行動は誰も起こさない。耐震診断は業務として成り立つものでなければならない。発想が逆である。
耐震診断を、耐震補強設計、耐震補強工事、メンテナンスと続く一連の耐震改修の一部として捉え、その後の耐震補強設計や耐震補強工事を受注できる仕組みを組み込んでおけば、建築設計事務所や施工業者は意欲的に耐震診断希望者を探し出してくる。そして必然的に耐震診断料は無料となる大河の流れに収束する。

 国は早稲田大学理工学部毎熊輝記研究室と共同で、「静的診断法(精密診断)」と「マグマ」を整合させた新しい判定基準を制定する。その結果、「精密診断」が必要かどうかを判断する「一般診断」は不要となる。
先ず、「マグマ」による耐震診断を行う。次に、危険側の結果が出た場合は「新耐震補強設計」と「耐震補強工事」を実施する。さらに、工事竣工後、必要な耐震性能の存否を「マグマ」で検証する。足りない場合は、さらに工事を追加し、必要耐震性能が確認されるまで同じ作業を繰り返す。その結果をもって国は「耐震改修検査済証」を交付する。

 この「耐震改修検査済証」は、その住宅の価値を示す公的証明として法律で規定する。併せて、国は、金融機関や保険機構と共同で、現行の耐震改修融資制度やリフォームローン支援保険制度を発展させた「新耐震改修支援制度」を創設し、「耐震改修検査済証」取得済み住宅に適用する。
この制度は、余命幾ばくかと考え、手持ち資金を温存、我が家の耐震改修を諦める独り暮らしの老人に耐震補強工事を実施する道を開く。また、「耐震改修検査済証」交付済み住宅の中古住宅市場での価値を示し、欧米諸国に比べ見劣りする我が国の中古市場形成を促す。さらに、既存住宅の継続的利用を促し、地域経済を活性化させ、資源再利用と環境保全の究極の目的を達成する。

 万難を排し、国は早稲田大学毎熊輝記研究室との協議を開始すべきである。そうなってからでは遅すぎる。あってはならないことであるが、日本の何処かで大地震が勃発、国の基準に従って耐震改修した住宅が崩壊、尊い人命が奪われる取り返しのつかない事態が引き起こる前に…。
座礁した地震防災対策を離礁させる方法はこれ以外にはない。
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新聞にはない「地震防災対策」の真相

2007/07/26 09:37
 近所の人たちの必死の努力で、一旦瓦礫の中から助けられたおばあちゃんが、「ありがとう」の言葉を残して亡くなったという。この感謝の一言に集約されたおばあちゃんの一生。悲しくてかける言葉がない。

 もしやとの不安が…、まさかという油断が…。突如、大地震が中越地方を襲い、倒壊した家屋の下敷きになって70歳以上の高齢者10人が犠牲となった。亡くなられた方々に改めて哀悼の意を表する。

 先般の、中越沖地震の被害は古い木造住宅に集中した。お寺で被災した方1人を除き、このおじいちゃん、おばあちゃんたち9人とその家族は、3年前の中越地震を教訓に「我が家を耐震補強しなければ」と考えられていたに違いない。それでもそうすることができなかった…。そのうち2人は一人暮らしであったという。
この痛ましい災難を繰り返さないため、木造住宅を対象に「地震防災対策」とは何かを考えてみる。

 中越沖地震発生の一報を受け、安倍総理は予定を変更、急遽遊説先から官邸に戻った。翌日、新聞は、「政府、地震に迅速対応」と報じた。
今、参議院議員選挙の真っ直中、百歩譲ってそれはそれでよい。とやかく言うつもりもない。しかし、「地震への対応」とは、総理が遊説先から官邸に戻ることではない。ましてや各党の党首や担当大臣が被災地を訪れ視察、お見舞いを申し上げることでもない。「地震への対応」とは、本来、地震の後より地震の前の対策の重要さを認識し、具体策を打ち出すことを言う。新聞報道はさしずめ「政府、地震防災対策に後手を打つ」とすべきであった。

 国が進める「建築物の耐震改修の促進に関する法律」に基づく地震に強い街造りは遅々として進まない。その入り口である「耐震診断」の受診者が極端に少ない状態のまま滞っている。国は「現実的」施策を講じているのか。その根幹に誤りはないのか。

 結論から先に申し上げる。
手を拱いていれば、この政策は実現不可能な「砂上の楼閣」となること必至の状況である。その理由の一は、この政策が民間活力を排除した、建築行政の範囲内で構築されていること。その二は、耐震診断希望者の思考過程と、診断実行者(建築設計事務所や施工業者)の事情を無視した政策であること。その三は、国が採用する静的診断法の運用の面に構造的欠陥が存在することである。

 平成七年一月の阪神・淡路大震災では六千四百三十四人の尊い命が奪われた。このうち地震による直接的な死者数は五千五百二人であり、さらにこの約九割の四千八百三十一人が住宅や建築物の倒壊等によるものであったという。(※国土交通省告示参照)
この教訓を踏まえ、国は、「建築物の耐震改修の促進に関する法律」を制定、建築物の耐震診断と耐震改修の普及に着手した。

 国土交通省告示で、「住宅・建築物の耐震化の促進のためには、まず、住宅・建築物の所有者等が、地域防災対策を自らの問題、地域の問題として意識して取り組むことが不可欠である。国及び地方公共団体は、こうした所有者等の取組をできる限り支援するという観点から、所有者等にとって耐震診断及び耐震改修を行いやすい環境の整備や負担軽減のための制度の構築など必要な施策を講じ、耐震改修の実施の阻害要因となっている課題を解決していくべきである。」と建築物の耐震診断及び耐震改修の促進を図る基本的方針を謳っている。

 次に、1.国、地方公共団体、所有者等の役割分担、2.公共建築物の耐震化の促進、3.法に基づく指導等の実施、4.所有者等の費用負担の軽減等、5.相談体制の整備及び情報提供の充実、6.専門家・事業者の育成及び技術開発、7.地域における取組の推進、8.その他の地震時の安全対策、を基本的事項として掲げている。

 さらに、詳細は割愛するが、建築物の耐震診断及び耐震改修の実施に関する目標の設定に関する事項、建築物の耐震診断及び耐震改修の実施について技術上の指針となるべき事項、建築物の地震に対する安全性の向上に関する啓発及び知識の普及に関する基本的な事項、都道府県耐震改修促進計画の策定に関する基本的な事項その他建築物の耐震診断及び耐震改修の促進に関する重要事項、と続き完結する。

 地震防災対策は、1.耐震診断、2.耐震補強設計、3.耐震補強工事の三つの要素を如何に実行するかに集約される。政府目標と比べ、その入り口である耐震診断の申し込みが極端に少ないままである。増加する気配は見えない。地震発生の確率が低いとされる県によってはゼロに近い。何故か?

 以下、私の耐震診断及び耐震補修の体験に基づいた観点から、その理由と対策の概要を述べる。誤りがあればご叱責賜りたい。

 耐震診断とは、既存建築物が地震に対して安全であるかどうかを見極める行為をいう。耐震診断には「静的診断法」と「動的診断法」がある。そのうち国土交通省が採用する「静的診断法」は「精密診断(本診断)」と、精密診断が必要であるかどうかを判断する「一般診断(予備診断)」に分かれる。
「精密診断」は、建物の床や壁、天井を剥ぎ、架構と耐力壁や筋違等の耐震要素をつぶさに点検し、理論に基づいた詳細な診断を行う。
「一般診断」は、床や壁、天井を剥ぐことなく、目視可能な耐震要素を点検、精密診断が必要かどうかを判断する。平均的評価を行うため、診断結果には不確定要素が含まれ、評点には必要耐力の割増等の安全率が含まれる。

 では、何故、国が定める「静的診断法」は「精密診断」と「一般診断」に分かれるのか。
「静的診断法」とはそもそも「精密診断」を指す。しかし、精密診断を実施した結果、安全であるとの結論が出た場合、そのため建物の床や壁、天井を矧ぎこれを補修した高い費用が無駄となる。その不合理を解消するため「一般診断」が生まれた。
「一般診断」は、あくまで精密診断が必要かどうかを判断する予備診断でしかない。実際、一般診断を実施してみて、確認すべき耐震要素のかなりの部分が床、壁、天井で遮られ確認不能。安全率が組み込まれているとはいえ、これでよいのかと感じることもある。さりとて、これが精密診断が必要かどうかの判定法として使われた場合は問題ない。しかし、その結果をもって耐震診断そのものとする短絡的且つ誤った使い方をされると重大且つ危機的問題が起こる。

 この静的診断法の二段構えの構造が、耐震補強設計、耐震補強工事へと進む診断希望者の耐震改修の意欲の流れを遮断する。その不合理が口コミで流れ、耐震診断の受診希望者の増加に強いブレーキをかける。
また、この中越沖地震では、耐震補強工事を実施した木造住宅が崩壊した事実が確認されている。崩壊した住宅が国が採用する「静的診断法」と耐震補強設計及び工事を規定通りに実施したものであるかどうかは定かではないが、静的診断法が持つ性格から起こり得る理由が存在する。もしそういう事実が1件でも存在すれば、或いは発生する恐れがあれば、現行の耐震診断法を根幹から見直す必要性に迫られる。
何故そうなるかを、私が住む県が実施する「安全・安心住まいづくり事業」を例にとり、説明を加える。

 県が採用する診断法は「静的診断法」のうち「一般診断」である。
診断者は作業着着用、胸には配布されたワッペンをつけ、設計事務所の名刺等の提示及びこれに類する行為を禁ずる。
県が設定した診断費用は総額4万5千円。そのうち国と県がそれぞれ1/3を、残りの1/3を診断依頼者が負担する。
診断費用の4万5千円は、当該事業を指揮、監督、指導する県建築設計事務所協会が1万円、診断を行う設計事務所が3万5千円を受け取り診断を行う。

 県が配布するパンフレットには耐震診断の仕組みの説明はない。「一般診断」で危険側の診断結果が出た場合、必要となる「精密診断」の存在とその費用についての記述は見あたらない。
その結果、県民は1万5千円を負担しこの診断(一般診断)を受ければ我が家を大地震から守る具体策が得られるものと思い込み、申し込む。診断を受け、危険側の結果が出て初めて、さらに10〜30万円の費用を要する「精密診断」を受けなければ耐震改修(耐震補強設計と耐震補強工事)の要否を具体的に理解できないことを知る。堂々巡りの費用不明の袋小路に追い込まれる。人は品質と価格が解らない商品は買わない。この補助事業で危険側の診断結果となった受診者が耐震補強設計或いは耐震補強工事の検討に踏み込めない或いは踏み込まない理由はここにある。

ではどうすればよいのか。その対策を以下に述べる。

1.耐震診断希望者が先ず知りたいことは、我が家が大地震に耐える建物であるかどうかの判断と併せて、耐震改修(耐震補強設計と耐震補強工事)の要否の判断までに幾らかかるかということである。

2.県のパンフレットによれば、その額は1万5千円である。そうとしか読めない。その結果、安全側の診断がなされた場合は問題ないが、危険側の結果となった場合はさらに精密診断費として10〜30万円が必要となる事態に至る。これは不当表示と判断されても致し方なく、この補助事業がそもそも結論には至らない働きかけであることを意味する。例えが的確ではないが、友人を飲み屋に誘い、焼き鳥1本と焼酎1杯でもてなすことに似ている。耐震診断希望者が増えない原因はここにある。こういう男の誘いには誰も応じなくなるからである。

3.もう一つの理由は、耐震診断に始まる一連の地震防災対策が民間活力を排除した建築行政の範囲内で組み立てられていることにある。
建築物の耐震改修の促進に関する法律には、「住宅・建築物の所有者等が地域防災対策を自らの問題、地域の問題として意識して取り組むことが不可欠」と謳いながら、補助金の効用で耐震診断を誘いだそうとする不合理が存在する。そうであるなら、最初から国民が相応の負担を担う政策を打ち出すべきである。意識改革を試みるべきである。そして、この政策を、官主導でなく、民間活力と連動した仕組みに組み立て直す。そうすることで国民の負担を限りなくゼロに近づけることができる。例えば、耐震診断役が施工業者である場合、その後発生する耐震改修を合理的に受注できる仕組みがあれば、施工業者の企業努力で耐震診断費用を無料とすることも可能である。また、現行のリフォームローン支援保険制度等の再編で同じ効果を生じさせることができる。住宅金融公庫の基本融資額1,000万円をさらに利用しやすい形に整える。等々、これらの合理的仕組みを法律で定め、厳格に運用する施策を打つ。大地震の発生に伴う膨大な国費の繰り返しの無駄を、国民の生命と財産を守る事前の政策に転換する英断が求められる。

4.その役を担う者は国でしかない。国民が相応の負担を担う、官民一体となった複合策を立案し、その負担を民間活力で吸収する複合策を組み込む。地震防災対策は建築行政策ではなく景気浮揚策に他ならない。
地震防災対策は国民が相応の負担を担うべきと謳いながら、その意欲を非現実的な補助金で誘い出す場当たり的政策よりも、端から国民に相応の負担を担わせ、その負担を民間活力で吸収させ、保険制度、融資制度の再編で合理的に既存住宅の繰り返し利用を推進する、環境保全及び資源の有効利用と景気浮揚策を視野に入れた現実的政策を構築すべき。

5.一方、国が定める「静的診断法」に対し、「動的診断法」の代表的な手法に早稲田大学理工学部毎熊輝記研究室が開発した「早稲田式木造住宅耐震性能診断法」がある。

 常時微動といわれる地表付近に常に存在している微振動を同じ場所、同じ条件で測定すると、その周波数スペクトルが極めて相似している。他方、地盤構造が異なる地点同士の常時微動のスペクトルは異なっている場合が多い。このことは常時微動がその地盤固有の振動特性に関係していることを示すもので、「動的診断法」は、この性質を建物の振動特性の判定に利用できることに着目、開発された診断法である。地盤と建物の常時微動を観測することにより、建物の固有周期、最大振幅倍率、減衰定数を割り出し、理論ではなく建物の構造特性の実態を解析、評価する。

 国が採用する耐震診断法、即ち「静的診断法」は架構及び筋違等、建物の耐震要素を外見から評価するもので、あくまでこうであろうという予測でしかない。筋違や接合金物を確認しても、木材の乾燥や施工方法の欠陥等でその効果が存在しない場合もあり得る。これに対し「早稲田式木造住宅耐震性能診断法」は建物の床や壁、天井を剥ぐことなく建物の強さ弱さの実態を正確に把握することができる。人間の健康診断に例えるなら心臓欠陥を心電図で解析することに似ている。短時間且つ簡単明瞭な操作で、耐震性能の実態を明確に表示する。

 また、この診断法は耐震補強工事が有効に施工されたかを事後確認するツールとして重要な能力を有する。耐震補強設計が的確であっても、施工がその通り為されても、必要な耐震性能が生まれたかは、そうであろうとの予測の範囲から抜け出すことはできない。建築現場には、悪意はなくても、設計通りに施工しても、欠陥住宅が発生する絡繰りが存在する事実を国民は知らなければならない。

 国が定めた耐震診断法、即ち「静的診断」を実施し、建築基準法に基づく耐震補強設計と施工を実施したにも関わらず、大地震に耐えきれない木造住宅がすでに存在するやも知れぬ。その実態は大地震が起こり、その住宅が倒壊するまでわからない。「早稲田式木造住宅耐震性能診断法」はこの危機的状況の発生を事前に防ぐ。

 「静的診断」は確たる理論である。同様に、「早稲田式木造住宅耐震性能診断法」もそうである。前者は国が採用する耐震診断法であるが、後者はそうではない。どちらが正しい云々というピント外れの議論は避け、国は「早稲田式木造住宅耐震性能診断法」と「静的診断」の融合を真剣に検討すべき段階にある。
「ありがとう」の一言を残し去っていったおばあちゃんの感謝の一生を無駄にしない、国の英断を訴えたい。国が定めた耐震診断と耐震補強工事を実施した我が家が倒壊し、多くの犠牲者が発生する前に…。

 この稿では十分な資料等の裏付けもせず、体験に基づく問題点とその解決法を気の向くままに陳述してみた。適当でない部分があるやも知れぬ。その意をご理解願いたい。後日、改めて提案編を発表する予定。
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選挙と人と言い分の見分け方

2007/07/18 00:40
 私も部下を率い、仕事をしていた時代があった。
それぞれ意見を出し合い、とりまとめ、諸問題を解決してきた。そのとき私は、部下の意見の善し悪しとは別に、その論理から部下の真意や人間性を読む悪趣味が身についた。

 そのおかげで、実績を上げる優れた意見の裏の自己利益誘導の存在を見抜いたり、愚鈍に見えた意見の行く先が大きな成果につながることに気づいたり、その内容の判断如何とは別に、そう発言する男の腹の中を垣間見ることができた。当然、当たり外れはあったにせよ…。

 先日、久しぶりにテレビを見た。各党の党首が集まった民放の参議院議員選挙の討論会であった。
最初は、各党首が、消費税や年金問題、さらには議員と金にまつわる問題など、国民の投票の判断基準となる質問に対しどう答えるかを、メシを食いながら眺めていた。そこで辿り着いた結末は、潜在的に燻っていた二つの気がかりに結論が出たことであった。

 その象徴的な現象が、聞かれたことに曲がりなりにも答える党首と、聞かれても答えず、付帯説明で外堀を埋めようと画策する党首との対比であった。
盗人にも三分の理というのがある。そこまでは申し上げないが、私にとって、聞かれたことにどう対応するかの党首の基本的姿勢は、話す内容がどうであるか以前の、その党を認めるか否かの重要な判断要素となる。主義主張が明らかに自分のそれと異なる場合を除き、多少の食い違いがあっても聞かれたことに答える、或いは答えられないと明言する者を私は選ぶ。何故なら、聞かれたことに答えず、付帯説明のみを繰り返す者或いは党は隠し事が腹にあり、選挙が終われば豹変するからである。選挙に勝つことのみの狭い了見が見え見えで、信用ならないからである。

 もう一点は、国が国民を「だます」時代の到来を実感したことである。悲しい現実である。
連立政権というのがある。多数決の原理が存在する以上、やむを得ないことではあるが…。また、キャスティングボードというのがある。議会などで二大勢力が伯仲しているとき、第三党がもつ決定権をいう。
第一党と連携を組む異質且つ小規模な日本の第三党は、選挙で「我が党は第一党を導く党である」、「我が党は第一党に釘を刺す」とうそぶく。そう言わせない第一党の潔癖さは無し。そう言われても反論の余地は無し。この、一般社会ではありえない二つの異質の政党の連携が「だまし」の始まりである。

 双方とも液体で表向きは同じように見えても、水と酢、醤油ならまだしも水と油の、本質が全く異なり混ざり合う要素のない二つの政党が一つの瓶に収まっている状態がこの国の乱れの原因である。国民は、消費税や年金問題或いは議員の金にまつわる問題など、巷の選挙の争点以前の、この二つの党の奇妙なつるみ合いが国を危うくしている事実に早く気づかなければならない。美しい国などと悠長な言葉をもてあそんでいる場合ではない。
誤解なきよう補足するが、私はこの二つの党の善し悪しを論じているのではなく、白と黒の絵の具の混ぜ合わせが灰色にならず、ある時は白、またあるときは黒になる不可解さを問題視しているのである。

 この選挙と次の衆議院議員選挙の争点は、消費税や年金問題より、この異質の二つの政党の欺瞞に満ちた連携を再点検し、判断を下すということ以外の何ものでもない。我々は、猫だましに引っかかる無能な国民ではないことを証明しなければならない。

追伸
 「止せよな…お前!…」、とつい笑ってしまったテレビの画面が私の目に飛び込んだ。この稿の修正の途中でパソコンを離れ、茶の間でお茶を飲み干そうとしたその瞬間…。
故人に労りの意を表し黙して語らず。その代役として起用された新大臣が、絆創膏を顔にちりばめ登場した。レポーターの矢継ぎ早の質問に、彼も黙して語らず。何が何だか解らない。何か事情があったのだろう。それにしても、この期に及んでこういうことが…次々と…。政界はどたばた喜劇の舞台なのであろうか?
あ〜………。疲れた。
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防衛大臣は渡り鳥でもこなせる役割なのか

2007/07/06 17:32
 渡り鳥という言葉がある。ある場所から次の場所へ転々と旅行しながら商売や興行をして稼ぐ人を言うそうだ。日本新党に始まり、新進党、自由党、保守党、自民党と渡り歩いた人物が日本国の防衛大臣になった。

 驚いた。こういう者が防衛大臣に就任したことより、そういう者を任命した総理大臣の見識に驚いた。
石の上にも三年という諺がある。いったん方向を決めたら、苦労に耐え、打ち勝ち、努力せよと言う教えであったはずである。その教えが我が国を蘇らせ、発展させてきた。仕事に就いたら死ぬまでそこで働けとは云わないが、少なくとも防衛大臣にはそれなりの節度を守る資質が要求されているのではないか。

 一国のリーダーが、その道で切磋琢磨する能力を蚊帳の外に置き、いつ飛び去るかわからない渡り鳥に国の防衛を任じた事実は、これから我が国を支えて行く若者達の人生観にどのような影響を与えるのであろうか。総理は若者達に、その時々に態度を豹変、旨く立ち回るべきで、人生は調子よく生きるものが勝つと教えているのであろうか。否、総理は、定職にも就かず或いは就くこともできず、目先の待遇を追いかけ転々とする或いは転々とせざるを得ないニートの生き方に感銘を覚え、その最適任者を選んだに違いない。そう勘ぐらざるを得ない。

 私は、この人物が防衛大臣に就任したことより、自民党にはその程度の人材しかいないのかと危機感を覚える。そうではないと反論するものがいても、この人事に疑問を呈する自民党議員は僅か。また、前大臣と新大臣がノコノコとテレビの前に出てきて握手する体たらく。さらに、テレビニュースで、総理は、新防衛大臣が度々外国に出向き、多くの人脈を有しているからと選任理由を披露する。防衛大臣は、国と国民を守る緊急事態に至れば、大切な人脈であっても敢えてかなぐり捨てる勇気を持つ人でなければならない。そういうことは理由にならない。何をか況んやである。
自民党議員も地に落ちたものである。このような人物を大臣に就任させる奇行は前政権で終止符を打つものと思っていたが、未だ続いている。いつから自民党は物言わぬ太鼓持ち集団に成り下がったのか。

 人生とはどろどろとしたものである。その、どろどろとした環境に「美しい心」を持ち、戦い、生きる努力が求められているのである。大変失礼な言い方であるが、総理は「育ちの良いお坊ちゃま」で、一般国民がどのような環境で、志を立て、努力、挫折し、生き続けているかをご存じではないのではないか。「美しい国」などとピント外れのスローガンに酔いしれている能力でしかないのであればこれも「しようがない」のかも知れぬが。

 さりとて、政党を変わると言うことがすべて悪いと言うことにはならない。政党を変わるということは大きく二つに分かれる。所属する政党に三行半を突きつけ自ら新しい政党を立ち上げる場合と、既存政党を見渡し都合の良いところに次々と鞍替えする場合である。この二つは同じ「変わる」でも表と裏の違いがある。国民はその違いをしっかりと認識しているのである。
企業はその人の経歴を確かめ、能力、信条等を推測し入社や役職を決める。仮にあるなら、渡り鳥には「転職対策大臣」あたりが妥当な線である。それが一般社会の常識である。なのに…。
我々一般国民の転職とは異なり、国務大臣、特に高度の機密を保持し運用する防衛大臣の就任には然るべき選定条件が課されていることを一国のリーダーは再認識すべきである。

 この、新防衛大臣就任について各界から様々なコメントが寄せられている。その中に「参議院議員選挙対策」というのがある。そうであるかどうかは知らないが、もしそうであるなら国民も舐められたものである。国民はたわけ者ではない。渡り鳥に国を任せて本当に大丈夫ですか、安倍さん。

 今朝のニュースで、新防衛大臣が「目前の参議院選挙に自分の考えを訴える」という。防衛大臣は、ニュースキャスターではあるまいに、原稿を読み、広報する役目ではなかろう。もっとやることがあるはずである。そういうことより防衛大臣の果たすべき役割を身につけることが先である。自惚れも甚だしい。
この現象と価値観が参議院選挙直前に集約された現政権の実態である。
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発言、撤回、辞任の斜め読み

2007/07/05 23:00
 お節料理は「ハレ」、普段のメシは「褻(ケ)」の食事という…そうな。若い頃、何かの本で読んだ記憶で定かではないが、「ハレ」は滅多にない特別の、「褻(ケ)」は普段の事象を表現するときに使うらしい。現代はボーダレス時代といわれるが、その理解と使い方を誤ると窮地に追い込まれることもある。

 話には「表」と「裏」がある。その伝え方には「直接」と「間接」がある。「文字通り」と「暗に含めた」表現の違いである。また「本音」と「建前」というのもある。さらに「逆説的表現」というのがある。そして「聞く耳を持つ人」とそうでない人がいる。おまけに、これを「理解する人」とそうでない人がいる。

 私は落語が好きである。その理由は「オチ」である。人を笑わせて終りを結ぶ部分で「さげ」ともいう。「話にオチがつく」というアレである。「オチ」を楽しむ心がない人は寄席には出かけない。ばかばかしくて時間の無駄以外の何ものでもなくなる。

 人には「まじめな方」と「不真面目な奴」がいる。友人等の言動を分析すると、どうも私は後者の方であるらしい。但し、還暦を過ぎた今、何が「まじめ」か「不真面目」かが見極めがつかずにいるが…。
これとは別に「優しい人」と「冷酷な人」がいる。すべてがそうだとは言わないが、「優しい人」の話は自分と相手が渾然一体となる。「冷酷な人」の場合はそうにはならない。話が意に沿う沿わないとは別の次元の、目に見えない不可解な流れが寄り添う。

 「結論を急ぐ人」がある。その都度納得できなければ気が済まない。一方、「悠長な人」は大きく二つに分かれる。そのとき出なかった結論がいつでも引き出せる人とそうでない人である。前者で臨機応変の対応力を備えた者は大人の資質アリ。当然、この何れにも当てはまらないたくましい人もいる。

 仕事の進め方も、「動く前」に考える人と「動いてから」考える人がいる。「準備万端」を整え動く人と「見切り発車」の連続の人がいる。出てくる成果は他の要素の影響が大きく働き、どちらが良いとは言い切れない。

 私が「赤いリンゴ」と呟いたとき、聞いたあなたの「赤いリンゴ」のイメージは必ずしも一致しない…。言葉の使い方は難しい。話の場で舞い上がると、自分の立場も、聞き手の受け取り方も、発する言葉の意味も頭の中から蒸発する。そして思いがけない一言だけが後に残る。

 自分の意志と話と場と相手とタイミングが狂えば、それまでの人生を棒に振ることもある。一昨日辞任した人は「運が悪かった」のか「言い訳必至」の状況に追い込まれたのか、その真相は神のみぞ知る。

追伸
 ここまでは良かった。その後のインタビューで「しようがない」を連発した。これが良くなかった。通常、私は「しようがない」を無意識に使っているということを知らせたかったようであるが、あまのじゃくの目には、この人はそのレベルの小細工を使う人だったのかと落胆した。仮にそうでなかったとしても、この期に及んでも「しようがない」を封印できない能力疑問視の鵜の目鷹の目に火をつけてしまった。残念。
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年金問題引責 ボーナス返上のウソ

2007/06/26 12:18
 首相、厚生労働相、官房長官及び社会保険庁長官が夏のボーナスの一部を返上するという。併せて、社会保険庁の職員やOBに同様の自主的寄付を行うよう求めるという。その目的は、年金記録問題で国民に心配をかけたことに対しけじめをつけるためという。何を戯けた訳のわからぬことを言い出すのか。

 安かろう悪かろう。ただほど恐ろしいものはない、というのがある。
けじめをつけるというなら、やるべきことは別にあろう、というのが私の意見である。己の職責を果たさなかった責任を感じるというのなら、ボーナス返上などというせこい考えを捨て、受け取るべき報酬はきちんと受け、己のやるべきことを明確に示し、全力を尽くすべきである。ボーナス返上という猫だましのシグナルは送っても、この問題発生の原因が何で、いついつまでにどうする、できなければこうするという核心の意思表示はないまま…。何の解決にもなっていない。

 つい最近、あちこちの知事の給与の一部がカットされた或いは辞退したというニュースが流れた。一方、国会議員や地方議員の報酬を下げよと言うヒステリックな声も聞かれる。
何を馬鹿なことを言うのかというのが私の意見である。ここで国民は重箱の隅をほじくり返すことを止め、1億円なのか2億円なのかその額はわからないが、給与だけで議員活動がしっかりでき、己の人生をかけることができる環境を政治家に与える決意をすべきである。そうしない限り、身を挺して国や地方を守り、発展させようという青雲の志が政治の世界から離れてしまう。当然、それができなかったときのペナルティは準備されて然るべきであるが。

 「私たちがこれだけ苦しんで生活しているのに、知事はあんなに高い給料をもらって…」と訳のわからぬ発言する主婦の姿をテレビのニュースで見たことがある。国民は、この感覚或いは風潮が、結果的に何の役にも立たない政治家を生み、巡り巡って己の生活を苦しませる原因となっていることに早く気づかなければならない。何故なら、真の政治活動を行うためには、三食昼寝付きのレベルでは想像もつかない、過酷な条件に我が身をおかなければならないからである。
目に見えない速度で政治家の質が下がっているように感じるのは私だけか。選挙は芸能人の人気投票ではない。

 蛙には気の毒であるが、熱いお湯の入っている鍋に蛙を投げ込むと反射的に飛び出すが、最初は水の中に入れ少しずつ熱を加えるとそのまま茹で上がり、死んでしまうと言う。環境問題も病気も然り、少しずつ進行する障害が一番恐ろしい。
十数年前、中国上海に滞在していたときの体験談であるが、100元と300元の同じ靴が店頭に並んでいるとき、日本の感覚で単純に100元の靴を買ってはならない、と通訳から教えてもらったことがあった。見た目には同じであるが、100元の靴は必ず欠陥が隠れているという。仮に靴底が抜けても、その価格の差が欠陥を補う正当な理由になるという。

 参議院議員選挙が目前に迫ってきた。芸能人やスポーツ選手、監督等々、政治家は誰がなってもよい。但し、その知名度で票をかき集めようとする政党の姿勢とこれを容認する国民の風潮は、この蛙の水炊き現象以外の何ものでもない。また、自らの給与の一部を辞退し矛先をかわそうとする者は、己に自信がないか、問題解決の能力のない欠陥政治家でしかない。一考を要す。
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「骨太の方針」のウソ

2007/06/20 21:46
 政府は十九日、経済財政諮問会議で経済財政改革の基本方針「骨太の方針2007」をまとめ、その後の臨時閣議で決定した…という。その中身より、表題の「骨太」という一語が問題である。

 旨い文章は装飾が少なくすっきりとしている。端的な表現でその意を表す。一方、私のがそうであるが、下手な文章はくどくどと装飾を凝らし読みづらい。問題なのは読みづらさではなく、その下心である。己の文才のなさを自覚しているため、過剰な装飾語でそれを補おうとする。何故、この「骨太」が問題なのか。「骨太」かどうかは国民が決めることで、言い出しっぺが先に断ることではないからである。

 「骨太の方針」とやらが何を書いているのか読んだことはないが、どうせろくなことは書いてないと思われる。自画自賛か猫だましの類に違いない。私はただ酒を飲ませる飲み屋のチラシを読まない。

 政治にはパフォーマンスが不可欠と言われて久しい。また、マニフェストなる新しい概念が登場した。危機的状況である。
何が危機的状況なのか。本来、政治にはパフォーマンスなるものは不要のはずである。政治は、政治家や政党の意志と熱意と実績を国民が判断、投票し、執り行われるべきもの。さらに、私はマニフェストなどを参考にして投票しない。何故なら、政治家や政党がマニフェストを実行できなくても、何のペナルティも科せられないからである。政党や政治家のマニフェストはぼったくりバーのお品書きと変わらない。マスコミは、何故、手前味噌の「骨太」表現に疑問符を投げかけないのか。ペナルティ無しのマニフェストの中身がどうこうの議論に巻き込まれるのか。どうするこうする以前の、政治家または政党の資質或いは腹の中が問われているのである。

 このパフォーマンスなる概念を、誰が政治の世界に取り込んだのか。ムードに流れる安易な風潮を誘導、助長した或る政権が、豊かな日本人の心を踏みにじり、ひん曲げてしまった。
落語に「これが石川五右衛門が茹でられた釜である…」というのがある。誰も見たこともないし確かめた人もいない、というその後の台詞でどっと笑いがくる。早い者勝ちというわけである。訳の解らないことも、人より先に言い切ったものが信じられるという落とし話である。

 この落とし話が前政権あたりから現実の話になった。耳障りのよい政策、というよりその場しのぎの表現で民意を煽り、長期政権維持をはかる。言い出しっぺが退陣した後でその後遺症、即ち国民の負担が一気に吹き出してくる。増える税金、減り続ける郵便局等々、そのときはそういう説明ではなかったはずである。その証拠に、この言い出しっぺは退陣後、国民の前に顔を出そうとしない、或いは顔が出せない。この男の目的は政治を執り行うことではなく、政権の座に長く居座る、単なる自己保身でしかなかったと疑われても致し方ない。不運なのは現政権、打つ手打つ手がとり繕いの連続である。

 私は選挙権を得て以来、この「骨太」なる、猫だまし表現をすました顔で実行する政党を支持し続けてきた。しかし、政策如何は別として、端的に物言わぬこの政党が嫌になった。政権リーダーには苦悩の表情が宿り、これを支える三役は強がりだけでのし上がった自己満足チンピラの顔にしか見えないのは私だけであろうか。哀れにさえ思えてくる。はははと笑いたくなる。政治家はぼったくりバーのぽん引きではない。さりとて代わりになる政党は無し…
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